ADHDと発達障害とギフテッドと、あるべき社会の方向性

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ギフテッドの問題点

ギフテッドという単語は主に、教育面での必要性に迫られてのものだと思います。

つまり、ギフテッドと分類される人たちは、ある特定の分野ではすさまじいまでの才能を発揮するのです。ところが、一般的な秀才と違い、既存の教育や社会の構造下で、その力を発揮することは出来ません。
それどころかむしろ、問題を抱えていて社会に適合できず、才能を発揮するどころか社会の底辺のクズのような扱いを受け、何倍も傷付いていて、しかしその能力の高さ故に、それを外には全く見せずにいたりします。

悲しいかな世の中には「出来ないんじゃない、やらないだけだ」と言っている人は大量にいます。しかし、そのほとんどの人は、やっても出来ないのが現実です。
ギフテッドは数少ない「やれば出来る人」です。出来る人どころか他を圧倒するクオリティがありますし、それがあるからこそギフテッドなのです。
ところがギフテッドは、その根底に非社会的な問題も抱えているために、既存の枠組みでは上手くやれません。やる気が出ない、という致命的な問題を抱えているのです。

先述しましたが「やる気が出ないだけ」と言う人はあまりに多くいます。
ところがギフテッドと分類される人は、実は各々が「やる気が出る分野」というものを必ず持っています。そしてそこでは、圧倒的な能力を見せつけています。逆に言ってそういう人がギフテッドと分類されるので、当たり前なのですが。

ですが社会は「特定の分野でのみ圧倒的な能力を見せる人」をほとんど認めるようには出来ていません。教育段階においても、ある一定の科目だけトップレベルである事を考えてみてください。平均した成績が一定以下であれば、結局は一定以下の扱いしか受けません。

このギフテッドの特性を指して「自分は特定の科目はできるからギフテッド」と称する人が多いのも、またギフテッドの実態を隠してしまいます。

ギフテッドは極めて高い能力を持ちますから、実は自分の得意な科目じゃなくとも、平均以上の点数は優に出せます。ところがこれも、大量の「出来ないんじゃないやらないだけだ」と言っている人達の声に埋もれていくのです。

発達障害とギフテッドを分けるものとは?

ここではあえて、感覚的な話をしたいと思います。
発達障害の特性、これは本当に多岐に渡って複雑とはいえ、ここでは「右脳的」という形でザックリまとめてしまいます。
これは言うなれば感情の強さ、衝動の強さ、そういった本能に根差すかのような、直感的な部分の強さです。

対する抑制の部分、これを「左脳的」と仮に称します。
残念ながら私は脳科学に明るいわけではありませんので非常に感覚的なものですが、合理的思考、利害を計算したもの、一切の感情を排したものが、左脳的な部分です。

発達障害と分類される人々は、右脳的な部分が強いのは間違いありません。
感情の振れ幅が大きく、同じ1つの出来事に対しても、喜怒哀楽の感じ方が強いのです。
これは言い換えればセンサーが過敏である、とも言えます。外部の入力に対して、例えば刺激が10あったとしてもセンサーが過敏でなければ5くらいしか受け取らないにも関わらず、センサーが過敏である人は10がそのまま入ってきてしまったり、しまいには増幅されて20にも30にもなるのです。

逆に左脳的部分は合理性であり、言い換えれば処理能力とも言えます。
外部から入ってきた刺激、あるいは自分の欲求という感情そのものを、合理的な観点から処理して実際の行動に結び付ける思考です。
私がよく例に出すのですが、お腹が極端に減っていたとしたら、右脳的には「ご飯を食べたい!」の一択です。もしスーパーで目の前にご飯があったら、それを食べない理由など右脳的にはありません。
ところが左脳的には、そこで会計前のご飯を食べてしまったら恥ずかしい、犯罪である、そんな事を考えますから食べたい欲求を抑制して、きちんとレジに持って行って会計を済ませてから、しかるべき場所で食べる、という行動に導くわけです。

仮にこの右脳が弱ければ。お腹が減っているにも関わらず、食べたいという欲求をあまり感じません。別に左脳でそんなに強く抑制しなくても、元々それほどどうしても食べたくありませんから、左脳がそんなに強くなくても、余裕で制御できます。

ところが右脳が強く、食べたくて食べたくて食べたくて食べたくて仕方なかったら。
その場ですぐに食べてしまう欲求はとても強いものですから、おさえる左脳側も強い抑制が必要です。それがもし弱ければ「食べてしまって後から払えばいい」などと考えて、もはやその場で食べてしまう事もあるでしょう。

つまり。とある行動があったとしても、その中には右脳の欲求と左脳の抑制という、その2つがあわさった結果だけが出力されているのです。

とある人が怒っていたとします。そこだけを見たら「感情的な人だな」と感じるでしょう。
ところが実は、元々そんなに怒りやすい人でも怒りをたくさん感じる人でもないのに、それ以上に抑制が無いだけなのかもしれません。そういった人は他でも抑制がまったくありませんから、すぐに分かります。

逆に同じように公衆の面前で怒っていた人を見た時に「我慢できない人だな」とも感じるでしょう。
でも実はその人はとても右脳的欲求が強く、普段からたくさん怒りも感じながらもそれ以上に強い左脳の抑制でずっとずっと耐えていて、それでも耐えきれないほど強い怒りの欲求で、ついに怒ったのかもしれません。
「我慢弱い」というのは実は間違いで、「我慢強いもののそれ以上に感情が強い」だけなのです。

ギフテッドは右脳も左脳も極めて強い

優秀な人間、賢い人間として何かを上手くこなすのに、左脳側の高い能力、つまり極めて高い合理的思考力や理解力が必要である事は間違いありません。
それが高くあるかどうかは、賢いかどうかの基準の中心になるものでしょう。

ところがそれとは全く別のファクターで、「右脳側の強さ」があります。右脳側が強くないけど左脳側が強い人、これは「一般的な賢い人」です。感情の起伏がそれほど無いので、人としての暖かみに乏しかったり他人の機微に気付けなかったりという部分はありますが、社会においてやっていくには最も強いものです。

対して左脳側が強いけれども右脳側も強い人、これこそが「ギフテッド」です。
右脳側が強いことは様々な衝動的欲求の強さを意味しますから、たくさんの問題点も抱えているのですが、それをそれ以上に強い左脳で常に抑制し続けているのです。

右脳側が強いということはすなわちセンサーも過敏ですから、10の情報に対して常に20とか30のインプットがあり、「一般的な賢い人」と比べた際に、成長スピードが圧倒的に速いことも特徴です。

ところが右脳側が強いのを常に抑制し続ける事は、自分という個人を常に殺し続ける事も意味し、非常に高い負担を常に受けています。
特に外部と接すれば接するほど負担が強くなりますので、世に隠れがちであり、これが結果的に社会不適合の方向へと向かってしまうのです。

つまり、左脳側の高いか低いかで「賢いか愚かか」が決まります。
右脳側の高いか低いかで「感情的な欲求が強いか弱いか」が決まります。
そろそろお察しかもしれませんが、右脳が強く左脳が弱い人が「上手くやれない人」すなわち発達障害者と分類される部分です。
そしてそれは厄介な事に、「右脳も弱いが左脳はもっと弱い」というただの能力不足な人と極めて似てしまうのです。これが、発達障害に真に苦しむ人を隠し、ただ我慢弱いだけの人に自称発達障害の言い訳を与えた結果、発達障害者全体への偏見まで生むのです。

それら二者の判別は、右脳側の強さで分かります。
極端に言って右脳側の強さ故に苦しむ人は、例え自分が満足するような状態にいても、なんらかの苦しみは感じ続けるでしょう。常にインプットが強くありますので。
それがもし、自分が楽をしていればいい環境、怠惰が許される環境では何も問題が起きないようであれば、そもそもに右脳側が強いのではなく左脳側が弱いだけです。
社会を挙げて救うべきは、右脳側の強さに苦しんでいる人たちではないでしょうか。

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