『お前は将来格闘技をやるんだぞ』から始まった白鳥大珠の格闘家人生。人生を変えた「鶴の一声」とは
格闘家人生を変えた「鶴の一声」
その後もキックボクシングを続け、高校3年生でWPMF日本スーパーフェザー級王座のタイトルを獲得した白鳥。だがこのタイトル獲得した直後、突如モチベーションが低下してしまったという。
「その頃、ジムとの関係性で悩んでいたり、自分で色々考えることも多くなったことからモチベーションが下がっていってしまいました。
実は当時、キックボクシングをしながら、ボクシングの練習にも通っていたんです。その時に、ジム含めキックで色々悩んでいたことと、通っていたボクシングジムの会長から『うちでやってみないか?』と半ば冗談まじりですが、誘われたことが重なって・・・。色々考えた結果、じゃあボクシングやってみようかなと思いボクシングを始めました」
ちょうどその頃大学にも通っていたという白鳥。大学時代についてはこう振り返っている。
「大学ではスポーツ科だったので、ストレッチについてやテーピング、栄養学などを中心に学んでいましたね。でもほとんど遊んでいました(笑)
当時、格闘技もやっていましたが、それと並行してアルバイトもしていました。アパレル店員やカフェ店員などをしていましたね。」
大学生活を送りながら、ボクシングを続けていた白鳥。だが、卒業のタイミングである決断に迫られたという。
「大学卒業のタイミングということもあり、このまま格闘技を続けるのか、一般企業に就職するか悩んでいたんですよね。ボクシングジムの会長にも相談していました。
本当に悩んで色々な人にも相談した結果、このままここで辞めるのは勿体無いなと思ったんです。自分でも悩みに悩みましたが、まだ若いですし、格闘技を続ける事を決断しました」
だがこの頃、格闘技を続ける決断をしたものの、大学4年時にはほとんど練習にも行っておらず、自身の格闘技に対する熱は冷めていたと話す白鳥。ここで辞めるのは勿体無い、でも格闘技へのモチベーションは上がらない。どうしたらいいのか。
そんな時、彼の元へある人物から連絡があったという。
「練習にほとんど行っていない時期が続いていて、自分の中でもう一度1からボクシングをやろうかなと思っていた時に、那須川会長から電話がかかってきたんです。実は最初にキックをやっていた時、通っていたジムは違ったものの、アマチュアで大会に出た際に那須川会長と知り合って、何回かTEPPENの練習にも呼んでもらっていました。
キックを辞めてからは一度も連絡をとっていなかったんですが、ちょうどこのタイミングで連絡を頂いたんです。
『最近何やってるんだ?』と。そこで、色々と迷っていることを相談しました。
その時に、『うちに来ないか?一緒にRISEを盛り上げよう』と言われました。その場では『やります』とは言わずに、一回練習にいきますと言って練習に行ったんです。
ボクシングをやりながらも、やっぱりキック自体も好きで、YouTubeやアベマTVなどでキックの試合はみていたんですよ。その(那須川会長から誘われた)練習に行った際に、もう1回格闘技をやりたいという思いが湧いてきたんです」
現所属ジムであるTEPPEN GYM・那須川会長の「鶴の一声」で1ヶ月後にはジムを移り、再びキックボクサーとしてスタートした白鳥。
そこから彼の「真の格闘家」としてのキャリアが始まる。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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