エッ、もう渡しちゃうの!巨人のレジェンド背番号の行方
背番号といえば野球選手の代名詞。銭湯に行くと、お気に入りの選手の背番号と同じ靴箱に入れちゃうのは「野球ファンあるある」です。
もちろん選手本人にとっても、それは大切な数字。愛車のナンバープレートや携帯番号に反映させている野球人も少なくありません。
2018年、年の瀬。巨人ファンの間に動揺が走りました。今季マリナーズでプレーした守護神候補のライアン・クックとの契約に合意したとの一報が流れたのですが、驚くのはその背番号です。なんと昨季まで3年間、監督を務めた高橋由伸さんの「24」が授けられたというではありませんか。
入団1年目の1998年からずっとジャイアンツの24番を背負った由伸さん。監督を退任した数か月後、まだファンの中ではなじみのない新助っ人にレジェンドのナンバーが託されるとは…。これにはファンもSNS上で「クックに罪はないが、さすがに早すぎないか」「もっと大切に扱って欲しい」と愛ゆえの異議を唱える光景が目立ちました。
しかし、ジャイアンツがレジェンド背番号をさくっと「次の人」に渡しちゃうのは今に始まったことではないのです。2つのケースを見てみましょう。
清原和博「5」が06年、ディロンに
97年、西武から鳴り物入りでFA移籍した清原さん。登場曲の長渕剛「とんぼ」とともに、松井秀喜さんとの「MK砲」、さらには高橋由伸さんとの「MKT砲」で一世を風靡しました。東京ドームでの歓声は松井さんや由伸さんをしのぐほど。「キ・ヨ・ハ・ラ!」というライトスタンドの大きな叫び声は、目をつぶると今でも鮮明に思い出せます。
しかし、ビッグネームゆえに後年は「ハイタッチ拒否事件」など、球団にとっては扱いにくい選手になったのも事実です。05年限りで戦力外通告。オリックス・仰木彬シニアアドバイザーから「お前の最後の花道は俺が作ってやる」との言葉で説得され、大阪に新天地を求めることになります。
そして背番号5は…。翌06年、第2次原政権のもとで獲得したジョー・ディロン内野手に託されます。ところがディロンはズンドコ守備を連発。チーム低迷の一因になってしまいます。シーズン途中の9月上旬には戦力外に。出場は31試合にとどまり、打率・195、2本塁打、7打点と全く振るいませんでした。かなり熱心なファンでない限り、もう忘却のかなたかもしれません。それでも「清原の次の背番号5」ということで、球団史にその名を刻んでいます。