グレイシー一族、ミルコ、アーツと戦った格闘家「引退してから輝けることもある」、セカンドキャリアで恩返し
屈強な体躯に坊主頭、眩しいほどの笑顔と、ほとばしる情熱が印象的な元・総合格闘家の大山峻護さん。物腰柔らかく、穏やかな語り口調からは、かつてPRIDEやK-1のリングで壮絶な死闘を繰り広げていた姿など想像だにできない。
大山さんは柔道選手として全日本実業団個人選手権優勝などの実績を持ち、26歳の時に総合格闘家としてプロデビュー。そのわずか3ヶ月後にはPRIDEに初参戦し、ヴァンダレイ・シウバと対戦するもTKO負け。その後もグレイシー一族の恨みを買ってリング上で半殺しにされたり、ミルコ・クロコップには開始1分でKOされたかと思ったら、大晦日のK-1という夢の舞台でピーター・アーツ相手に1R30秒で一本勝ちするなど、波乱万丈な格闘家人生を送ってきた。
通算戦績33戦14勝19敗。数字だけを見ると負け越しているが、その対戦相手の名前を見ていくと凄まじい格闘家人生だったことが一目瞭然だ。
40歳で現役を引退し、現在は自身が発案した格闘技とフィットネスを融合した「ファイトネス」プログラムの普及などに努めている大山さん。たくさんの悔しい思いを糧にして第2の人生を突き進む不屈のファイターに、引退後の葛藤や後輩格闘家への思いを聞いた。
真っ向勝負の引退試合で未練が断ち切れた
ダン・ヘンダーソン戦 (C)関根孝
――PRIDE3戦目のヘンゾ・グレイシー戦では判定勝ちするも、勝ちにこだわりすぎた消極的なファイトスタイルで大批判を浴び、グレイシー一族の刺客・ハイアン・グレイシーに腕をへし折られ惨敗を喫しました。その後もミルコ・クロコップやピーター・アーツなどモンスター級のファイターと戦ってきましたが、そういった相手と戦う怖さはなかったのでしょうか?
大山:引退して振り返ってみると、すごい選手と戦っていたんだなという思いが湧いてきましたけど、当時は怖さを感じていなかったです。そういったモンスター級の選手と対戦できることにワクワクしていました。「これ、勝ったらどうなるんだろう」って。「勝ったらどれだけ嬉しいのかな」「周りが喜んでくれるのかな」「会場がどれだけ盛り上がるのかな」とか。勝ってトロフィーにキスするところまで、勝った時の映像を頭の中で描けるんですよ。その描いた夢のために頑張れるし、それが希望になっていました。どんなに負けても、「次の試合で勝てたら俺の人生ひっくり返るんじゃないか」「次こそは一発逆転、下克上」という気持ちや妄想力で続けてこられました。
――それだけの強い思いを持ってリングに上がっていたのに、最終的に引退を決めた理由は何だったのでしょうか?
大山:格闘技人生で想像以上に体や脳にダメージが溜まっていたんですよね。最後の方はちょっとかすったパンチで意識が飛ぶようになっていました。体が「もういいだろう」って言っている声が聞こえて、「俺はこんなにボロボロなんだ」って自覚して引退を決意しました。それが40歳の時ですね。格闘家としての最後に、みんなの前で戦いたいと思って引退試合をすることにしました。
――2014年12月に行われた引退試合の相手は桜木裕司選手でした
大山:最後は殴り合いの試合をしたくて、指名させてもらいました。僕はヘンゾ・グレーシーと戦って大バッシングを浴びて、そこからファイトスタイルを変えました。勝ちたい一心で最初から判定狙いの試合展開をして結果勝ちましたけど、誰も喜んでくれなかった。だからあの試合以降、勝っても負けても真っ向勝負。そのテーマでやってきたので、最後の試合それに応えてくれる選手が桜木裕司選手だと思って。どっちが倒れるか分からない、斬り合いのような試合をしたかったんですよね。最後は彼のパンチで負けてしまったんですけど、僕の未練を断ち切ってくれたような気がします。あの試合がなければダラダラと未練があるままセカンドキャリアを生きてしまったかもしれないので、引退試合で彼と戦えて良かったなと思います。今の僕があるのは本当にあの試合のおかげです。
桜木裕司戦