戦前に開場された「多摩川スピードウェイ」の旧観客席が取り壊し危機に
戦前に行われた自動車レースの一幕。奥に観客席が見える(多摩川スピードウェイの会提供)
多摩川スピードウェイの会は2016年に開場80周年を記念するプレートを旧観客席に設置。除幕式には川崎市の福田紀彦市長も招かれ、「貴重な産業遺産を1人でも多くの市民に知ってほしい」と保存に賛同する姿勢を示したほか、新たな行政ビジョン「新・多摩川プラン」の中にも跡地保存の方策が盛り込まれたという。保存ありきから一転して取り壊しの危機に直面したというわけだ。
戦前のサーキットの遺構が残っているのは世界的にも極めて珍しい。F1などを開催する鈴鹿サーキットは多摩川スピードウェイが消えて10年近く経った1962年の開場で、歴史は多摩川スピードウェイより25年近くも浅い。富士スピードウェイが完成したのも1966年。ちなみに戦前は競馬場や練兵場、飛行場でもレースが行われていたようだ。
東京近郊には他にもサーキットがあった。1965年開場ながら足掛け3年で姿を消した船橋サーキット(千葉)だ。その後は船橋オートレース場に取って代わったが、オートレース場は2016年に廃止となり、現在は屋内型スケートリンク「三井不動産アイスパーク船橋」に。サーキットの痕跡はほとんどなくなってしまった。唯一、面影としてかろうじて残っているのは駐車場の敷地が不自然に湾曲している部分で、それが高速コーナー「360R」にあたる場所だ。
多摩川スピードウェイの旧観客席は奇跡的に残っているが、地元住民の安全が第一。多摩川スピードウェイの会の小林大樹副会長も「工事に全面的に反対しているというわけではない。観客席の遺構を残しながら堤防を整備する工事もできれば」と言う。
治水対策の堤防強化をしながら保存する道を探れないか。何の議論もなく取り壊されるのは何とも忍びない。日本の自動車産業の歴史を知る上でも後世に残す価値はあるとみる。
[文/中日スポーツ・鶴田真也]
トーチュウF1エクスプレス(http://f1express.cnc.ne.jp/)
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