完全にクジ運に見放された阪神と“運命”で結ばれたドラ1左腕 「信頼される投手になりたい」と願った13年間【虎とドラフト】
今季は2軍での日々が続いた岩貞。しかし、彼自身は目の前の仕事に黙々と取り組んでいた(C)産経新聞社
指名直後に左腕が口にした“3つの目標”
アマチュア選手たちがプロへの扉に手をかけるドラフト会議は記者にとっても特別な取材現場だ。当日は社が一丸となって全国の指名候補選手のもとに記者をくまなく配置される。筆者も駆け出しの頃は、どこの学校、企業、チームに取材へ行くか、それはもうドキドキだった。
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その日ばかりは担当球団の垣根を越えて、取材場所にいる選手がどこの球団に指名されるかを待つ。独特の緊張感があって指名されれば祝福の空気に包まれるが、指名漏れする場合も当然あって、取材ノートに何も記すことなく帰途についたことも何度かあった。
個人的に印象に残っているドラフトを挙げるとすれば、2013年になるだろう。その日、私はドラフト会場だった都内のホテルに待機。担当球団の阪神が関東に所属する選手を指名した際に現場へと急行するいわゆる“飛び出し要員”だった。
まず、阪神が1位に指名したのは、大学球界屈指の本格派右腕、九州共立大の大瀬良大地(現広島)。だが、3球団競合の末、広島が交渉権を獲得した。続いて“外れ1位”には日本生命の柿田裕太を指名。しかし、ここでも2球団の競合となってベイスターズが交渉権を手にした。
完全にくじ運に見放されてしまった阪神と結ばれたのは、横浜商科大の左腕、岩貞祐太。3度目の正直で日本ハムとの競合を制した。「横浜商大の岩貞はサウスポーか」。そんなことを思いながら、なんとなく飛び出していくのは東京都内だと思い込んでいた私に上司から指示があった。
「すぐに横浜商大に向かって」。私は上司の言葉を訊いた5分後には品川駅に着き、「ひかり」に乗車していた。新横浜で降車したため乗車時間はわずか10分と贅沢な経費の使い方だが、いち早く現場に到着することが最優先。それでも大学に到着した時には日はすっかり暮れて取材の大半は終了していた。
その後、当時の和田豊監督が指名あいさつのため大学に到着。緊張した面持ちで指揮官と握手する表情が印象的だった。取材はできなかったが、先着していたカメラマンに会見と囲み取材の音声データをもらい、私は1面記事を書いた。
あれから13年が経とうとしている。この秋に現役引退を決意した岩貞は35歳のベテランとなるまで投げ続けた。私も昨年まで阪神を16年間担当し、今も左腕を取材する関係にある。ドラフト当時を思い返して興味深いのは、指名直後に左腕が口にした“3つの目標”をしっかりと達成していることだ。
「憧れの投手は能見さんです。強い腕の振りからいろんな球を投げるのが自分の持ち味で、能見投手もそのような特徴なので教わりたいことはたくさんある。プロとしてのあり方や、技術以外のことも聞きたい」
まだタテジマのユニホームにも袖を通していない段階で能見篤史に弟子入りを志願したのには理由があった。大学2年の冬、不振に陥った時に参考にしたのが能見のフォーム。「調子を崩して何か変えなければいけないということで、腕の振りや体重移動など細かく見ていました」と明かした。そんな“お手本”が在籍する阪神にドラフト1位で入団したのも運命的と言えた。











