松田宣浩が抱く「人生そのもの」だったソフトバンクと「40歳まで」チャンスをくれた巨人への想い「17年やってこなかったら、巨人でもできなかった」

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「この辞める2年はきつい思いをした」

 しかし、松田は後悔を口にしなかった。「この辞める2年はきつい思いをしたんですけど、良い時もあるしも、悪い時もあるし、そういう意味では18年間プレーさせていただいたので点数をつけると、『100熱男』です。100点満点の数字を出してあげたらいい」と屈託ない笑みを浮かべた40歳は、ソフトバンクと巨人への感謝を口にした。

「この1年、ジャイアンツのみなさんには自分の2つの思い、考えをかなえてもらいました。まず1つはプロ野球に入った時から数字より40歳までプレーしたいという思いを掲げてプレーしてきて、昨年途切れるかと言う時に、最後チャンスをいただいたのもジャイアンツですし、40歳までプレーするというチャンスを与えていただいたのはジャイアンツなので、そこに感謝の気持ちでいっぱいです。

 もう1つは、当然少年の時に応援していたチームは必ずあったと思います。自分は家族も全てジャイアンツファンでした。食事を済ませ、宿題を終わらせ、野球の練習を終わらせて家族みんなでジャイアンツの応援をテレビの前でしていました。それだけジャイアンツが好きだったので、だから最後にこういう…(ハンカチで目頭を押さえる)ジャイアンツのユニホームを着て、野球生活を終えるというのは本当によかったと思います」

「17年という期間をホークスでプレーさせていただいて、良いことも、悪いことも経験して、プロ野球という世界で数字を出すことができました。ソフトバンクホークスで17年間やってこなかったら、最後に巨人でもできなかったので、感謝の気持ちでいっぱいです」

 自身の目標だったという40歳までのプレーを叶え、精魂尽き果てるまでグラウンドに立ち続けた。今後は「妻のために父親という仕事をやってみたいなと思います」と話す松田。苦労を乗り越えた男の人生は、ここからが本番だ。





[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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