中村紀洋は左打者だった…右に変わった運命の打席とは

タグ: , , 2018/6/8

「4番・サード」で左打者の「掛布さん」があこがれだった


 僕は幼いころ阪神ファンでした。何度も甲子園に応援にも行きました。今でも強烈に記憶に残っている試合があります。日時もはっきり覚えています。1985年4月17日。阪神―巨人戦(甲子園)で阪神が2点差を追う7回に3番・バース、4番・掛布(雅之)さん、5番・岡田(彰布)さんが巨人の先発・槙原(寛己)さんからバックスクリーンに3連発を打って逆転勝利を飾った試合です。僕は親父と二人でバックネット裏でこの試合を観ていました。本塁打は球場の雰囲気をガラリと変えられる。クリーンアップで3者連続アーチに甲子園は大盛り上がりでした。この試合を生で観て本塁打の魅力に取りつかれたと同時に、プロ野球選手になりたいと強く思いました。

 実は野球を始めた時は左打者でした。僕のあこがれは「4番・サード」の掛布さん。かっこよかったので同じ左打ちで真似をしていました。ただ打球が全然飛ばなかった。右打者に変わったきっかけは小学3年の時のソフトボールの試合でした。あまりに左で打てないから、親父に「右で打ってみろ」と言われて。初めての右打席で打ったらレフトオーバーのホームランになりました。たまたまですけど凄くうれしかったですね。あの時以来ずっと右打者。左のままだったら今の僕はないと思います。

 右打者で最初の打席にホームランを打ちましたが、小さい時から本塁打を量産していたわけではありません。全然打てませんでしたから。ほんのささいなきっかけでコツをつかめば、子供たちは本塁打を打てる可能性を秘めていると思います。次回は打撃が変わった転機についてお話させて頂きます。

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※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部 平尾類]

中村 紀洋(なかむら・のりひろ)

渋谷高で2年夏の90年に「4番・投手」で激戦区の大阪府予選を勝ち抜き、同校初の甲子園出場に導く。高校通算35本塁打。91年にドラフト4位で近鉄バファローズに入団し、「いてまえ打線」の4番として活躍した。00年に39本塁打、110打点で本塁打王、打点王を獲得。01年も132打点で2年連続打点王に輝き、チームを12年ぶりのリーグ優勝に導く。04年に日本代表でシドニー五輪に出場して銅メダルを獲得。メジャーリーグ挑戦を経て06年に日本球界復帰し、07年に中日で日本シリーズMVPを受賞した。13年にDeNAで通算2000安打を達成。15年に一般社団法人「N’s method」を設立し、独自のMethodで子ども達への野球指導、他種目アスリートを中心にトレーニング指導を行なっている。17年には静岡・浜松開誠館高校で硬式野球部の非常勤コーチに就任。高校生の指導に力を注ぐ。

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