人生2度目の戦力外通告の裏側――葛藤の中で引退を決意した変則右腕が貫いた“サブマリンの美学”「上から投げる投手には参考にならない部分もある」【DeNA】
憧れの横浜のユニフォームに袖を通し、鮮烈な輝きも放った背番号53。スポットライトの当たる舞台の裏では葛藤を続けていた(C)萩原孝弘
コーチ陣たちの要求か、己の感性か。繰り返した試行錯誤の日々
コーチ陣もまた、そんな彼の潜在能力と繊細さを理解した上で、熱い期待を寄せていた。
2軍投手コーチを務めている入来祐作は、中川を古くから知る人物の一人だった。「僕はオリックスの時から彼を知っていますから」と語る男は、その技術の高さやポテンシャルを誰よりも買っていた。だからこそ、1軍の厳しいマウンドで生き残るために「身体の強さや出力を引き上げること」が不可欠であると説いていた。
「技術という部分では当時(オリックス時代)から変わらない。だとしたら、もう少し身体の強さみたいなものが球に伝わる方向に取り組んでいくと、また違った景色が見えてくると思うんです」
小杉陽太チーフ投手コーチもまた、中川の持つポテンシャルを信じていた。
「颯は打ち取って打撃をかわす技巧派というだけでなく、本質的には奪三振能力が高い投手。下側から130キロ後半の強い球を投げられるようになり、左打者の胸元に食い込むスライダーを投げられれば、もっと圧倒できるはずなんです」
ここで強調したいのは、DeNA首脳陣は決して中川を追い詰めようとしていたわけではない。むしろ才能とスキルを知り尽くしているからこそ、「出力向上」と「強いボール」という進化を求め、期待を込めて背中を押していた。
そんな首脳陣の期待に応え、チームの力になりたい。そのベクトルは中川も持っていた。だが、それは葛藤の種にもなっていた。
「出力の部分も大事なんですけど、そうなりすぎるとまた空回りするというか……。経験上、他のところがおろそかになってしまう。投げるタイミングがなかなか合わなくなったり……」
自身が求めるスタイルと、チームから求められているスタイル。出力を追い求めれば、自分にとっての“命綱”とも言えるフォームのバランスや打者のタイミングを外す絶妙な間合いという、繊細な感覚が崩れる。とはいえ、プロとしての立場上、首脳陣の要求に応えないわけにはいかなかった。
「今年はスピード重視が顕著で、球が速いピッチャーが使ってもらえる傾向がありますね。僕がやりたいスタイルとチームが求めていることが違うと思う。でもチームがそう言うならそうすべきですから」
何とか1軍に呼ばれるため、試行錯誤を続けた。課題であった左打者に対しても「もっと緩急をつけた方が打ち取りやすくなる」と100キロ台の緩いカーブの割合を増やして打者の目線を外すなど思考を巡らせ、スクランブル登板であっても「いい準備をしてマウンドに行く」と愚直に準備を重ね続けた。そこには己の技術と誠心誠意向き合い続けた一人の投手の意地と誇りがあった。
今季は2軍ながら25登板で防御率0.70。周囲の期待と自分の美学の間でもがきながらも、中川は自らの感覚を信じ抜いてマウンドに立ち続け、「結果」も残した。
だが、今秋、自身2度目の戦力外通告を受けた。そして22年間続けてきた野球人生に終止符を打つ決断を下した。
「このチームに少しでも貢献し、ここで現役生活を終えたいとずっと思っていました」
引退にあたって寄せられたメッセージには、誇り高きサブマリンの素顔と、チームやファンへの溢れんばかりの愛が込められていた。生まれた年以来となるチームの日本一、憧れだった横浜スタジアムで放ったプロ初ホームラン、そして何より「今まで見た中で一番綺麗だった」と振り返る日本一パレードで目にした横浜の街並み。
幼い頃から夢見た青いユニフォームをまとい、プレッシャーや葛藤の中でもがきながらも、最後まで自身の感性と美学を追い求めた“ハマのサブマリン”。唯一無二の美しいフォーム。オンの凛々しさと、オフの笑顔のコントラスト。誰にも愛された男に送られた温かく大きな声援は、横浜の街にいつまでも響き続ける。
[取材・文/萩原孝弘]
【関連記事】「マジか…」DeNA3年目、左の長距離砲の戦力外通告に他球団ファンも熱視線 プロでは満塁弾も記録「当たり前に声かかるよ」「阪神、獲らんかな」
【関連記事】「あれだけ騒がれた3人が全員退団か」高校BIG3がわずか5年で…DeNA小園も戦力外、2021年高卒投手が示す“ドラフトの難しさ”
【関連記事】「また絶対チャンスは来るから」――スタメン落ちのドラ1を支えた名コーチとの二人三脚 苦境の度会隆輝を変えた舞台裏【DeNA】













