“神世代”とは対照的な2010年の唯一の生き残り 元阪神の育成2位が歩んだ紆余曲折な野球人生「“1人中学生おるやん”みたいな感じだった」【虎とドラフト】
名将・岡田彰布も認めた強心臓
ここからの島本の野球人生は紆余曲折をたどっていく。
15年に1軍初登板を果たすと、翌16年にはプロ初勝利も記録。19年には救援陣の一角として自己最多63試合、防御率1.67とブレークを果たした。しかし、左肘が悲鳴をあげて20年にトミージョン手術を経験。背番号は再び育成選手を意味する三桁に戻ったが、22年に支配下に復帰すると23年には35試合に登板してチームの18年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
当時の指揮を執っていた岡田彰布監督(現オーナー付顧問)が「島本はハートが違う」と気持ちの強さを買ってピンチでの火消し役として度々起用。その強心臓ぶりは恐怖や不安から来るものだという。
「ずっと不安の中で僕は投げてきた。めちゃくちゃ緊張するタイプなので、もう開き直って腕を振ってきたんです。根性はあるタイプなので、それが生きているのかもしれません」
浮き沈みある野球人生は、それだけ長くユニフォームを着ている裏返しでもある。昨年11月には伏見寅威とのトレードで日本ハムへと移籍。46試合に登板し、22ホールドをクリアして新天地でフル回転を果たした。
昨年12月、筆者は関西を離れる際に島本とドラフトの話題になった。気づけば、2010年の同期入団の面々も彼以外はセカンドキャリアを歩んでおり、現役はただ1人。「今でもね、高卒のメンバーとは連絡も取りますし。慎太(一二三)も中谷も『嬉しい』とか、『頑張ってや』と言ってくれるし、榎田さんもメッセージをくれます。たまたま僕が最後まで残っていますけど、残っているからには1年も長く現役でやりたいと思ってますね」と最後の1人としての自負も少しだけにじませた。
“神ドラフト”とは対照的な10年のドラフト。それでも、唯一の“生き残り”である島本の活躍は、15年以上が経った今でも渋く光りを放っている。
[取材・文:遠藤礼]
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