阪神・高橋遥人、1軍白星までの1025日 「キャッチボールもぐちゃぐちゃ」だった左腕が歩んだ“前例のない復活ロード”【コラム】
優勝争いを繰り広げる広島戦。そこで1軍復帰を果たし、白星も掴んだ高橋。彼にとって単なる1勝ではなかった。(C)産経新聞社
“ぶっつけ本番”でマウンドへ向かうのが当たり前だった日々
阪神において3年前と言えば、今の打線で中軸を担っている森下翔太は大学生3年生で、前川右京も高校3年生。まだタテジマに袖を通してすらいない。佐藤輝明もプロ1年目を戦っていた時である。それだけ「3年」という月日の捉え方は人それぞれだが、高橋遥人にとっては決して短くなかったはずだ。
【動画】渾身の奪三振! 虎党を沸かせた高橋遥人の1軍復帰登板
次代のエース候補と期待された左腕が最後に1軍で登板したのが、21年11月6日。巨人とのクライマックスシリーズファーストステージ初戦で先発マウンドに立った時だった。そこから高橋は1軍の舞台から遠ざかった。同年のオフから3年連続で、肘を2回、肩、左手首と、実に4度の手術を経験した。ゆえに彼にとって「3年」は、長く辛いリハビリに費やした期間とイコールで結ばれる。
そんな物語を阪神ファンなら誰もが知っており、だからこそカムバックをずっと待っていた。1009日ぶりの1軍マウンドとなった8月11日の広島戦で「ピッチャー、高橋遥人」とコールされた瞬間、京セラドームに詰めかけた4万超えのファンの心は震えるだけでなく、「おかえり」の声が自然と重なっていった。
「ファンの人の声が本当に励みになったので。待っていてくれる人たちがいる。復帰しないとそういう人たちが報われない」
育成契約に切り替わった昨オフの契約更改の場で高橋は、そう口にした。以降も度々、同じ言葉を私は耳にしてきた。手術を重ねるほど、復帰への時間が長くなるほど、自身を支えてくれる存在は増えていく。「恩返し」という言葉ではとても収まりきらないぐらいの感謝の気持ちも持って、高橋はマウンドに上がっていた。
歩んできたのは、前例のない復帰ロードだった。
20年9月から原因不明の左手の脱力感に苦しめられてきた。ボールを投げられるが、そこには必ず不快感が伴っていた。球速も著しく低下し、2軍では左手にテーピングをぐるぐる巻きにして投げた。
「キャッチボールもぐちゃぐちゃで、めっちゃシュートするんです。痛みよりも力が入らないことの方が辛かった」
21年は1軍のローテーションにこそ加わったが、1週間の調整期間でブルペン投球は1度もしなかった。いわば、“ぶっつけ本番”でマウンドへ向かうのが当たり前だったという。そして22年には左肘のトミージョン手術を執行。それでも手首の状態は一向に変わらなかった。
このままでは終わってしまう――。暗闇をさまよう日々を過ごす中で、トレーナーとともに複数の病院を回って、ようやく原因が「TFCC」と呼ばれる三角線維軟骨複合体の損傷であることが分かったのは、この22年だった。