五輪開会式「いじめ告白」問題で考える・・・いじめではなく「傷害」「暴行」「恐喝」と表記すべきとの声
「昔から思うのですが、だいたい『いじめ』という言葉が問題を矮小化させていると思います。『いじめ』というひらがな3文字からは、あくまで遊びの延長であり、子ども同士のゲームだという『甘え』の要素が浮かんでくる。でも実際に行われているのはリンチであり、傷害であり暴行ですよ。私も他校の上級生から恐喝されたことがありますが、被害を訴えても大人からは『子ども同士のいじめだろ』と相手にしてもらえなかった」
そして、こう続けるのです。
「『いじめ』という言葉こそ撲滅させ、『傷害』『暴行』『恐喝』と呼ぶべきです。立場の弱い人間に悪質な行為を働く卑怯者は、それ相応の『裁き』を受けるべきです。雑誌のインタビューで、喜々としていじめっ子体験を語るのならば、今回は完全に因果応報でしょう。いくら反省しても、当時の被害者の気持ちを考えたら、足りないほどですよ」
今回の五輪開会式を巡るトラブルで、唯一の『レガシー』があるとすれば…。
弱い立場の人をバカにして攻撃すると、大人になってから必ずバチが当たる。いじめることは将来の自分に対する最大の裏切りになる。お天道様は必ず見ている、ということを、未来のある子供たちが学んだことかもしれません。
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